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あるインディアンの家に泊めてもらったとき、夜遅く到着した我々をその家の老夫婦は手厚くもてなしてくれ、ありったけの食事をご馳走してくれた。そして、突然やってきた我々に彼らのベットを使わせてくれたのだ。僕はきっと他の部屋にもベッドがあるのだろうとその夜は寝たのだが、実は彼らは家の外にある小さなトレーラーの中で寒さの中布団にくるまり寝ていたことが翌朝わかった。
昔アフリカをバイクで旅をしていたときに訪れた村のことを思い出した。その村人達にここで寝なさいと土壁の小屋をあてがわれたのだが翌朝外に出てみるとその小屋の住人は外の土の上でなにもかけずに寝ていた。彼らの人や自然に対するやさしさを身をもって感じた。
この旅で初めてあったアメリカ・インディアン達が僕のことを兄弟と呼び友人に紹介してくれる。
人間は地球(マザーアース)の子供であり、動物や草木など生きとし生けるもの全てが兄弟であり家族なのだと考えていることを知れば当然のことなのかもしれない。だから彼らには自分のものと他人のものとの境界線があまりないようだ。
例えば彼らの家に行くと、子供が沢山住んでいて誰がその家の子供なのかまったく区別がつかない。子供は大人にとって共有の財産としてみんなで育てるという暗黙の了解があるのだろう。
そのあたりも世界各地の先住民などにみられる共通の社会システムのようだ。そういえば日本も昔そうだったのではないだろうか。人の子でも間違ったことをすれば注意し、しかるという姿があったはずだ。
旅に同行した一人の長老は、木は生命のシンボルなのだと言った。
人間は木が作り出す酸素を吸い、
そして二酸化炭素を吐く、
それを木がまた取り込み再び酸素を作り出してくれる、
この循環で人間は生きていられる。
だから我々は木に祈りを捧げるのです。
そしてその木は母なる大地に根を張り支えられ、
そして栄養をもらって生きている。
母なる大地は地球上のすべての生き物を支え、
そして支えられてもいる。
すべての存在が互いに助け合い、
バランスを取り合っているのだと。 |